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アバド。
今夜はまったりしながら、図書館で借りたアバドのドキュメント、「Hearing the Silence」を鑑賞。
彼のリハーサルを初めて見たときのことを思い出す。
大学生のころだったと思う。
あれはサントリーホールでのマーラーチェンバーオーケストラのリハーサルだった。
一般向け(もしかしたら学生向けだったかもしれない)に公開されていたのだ。
ほとんど初の「アバド体験」(正確には、いつだったか正確に覚えていないが、東京文化会館にてベルリンフィルの「トリスタンとイゾルデ」を聴いている)。
それはそれは、どんなことを話すんだろう、どうリハーサルを進めるのだろう、と期待いっぱいで行ったわけだ。

舞台に現れたアバドは、想像していたよりも本当に小柄な、痩せて猫背な男性。
とても「控えめな人」という印象。

そしてリハーサルが開始されたのだが、
何に驚いたって、巨匠アバド、「何も言わない」のである。

いや、もちろん全く何も言わないわけではないが、演奏を止めて、しばらく沈黙。
そして「昨日よりいいよね?」とかぽつり。
楽譜を見ながら何か考えている。
仕方ないので(?)コンサートマスターや各首席奏者などがここはどう、こう、話し合いを始める。
奏者がアバドに質問を浴びせかける。巨匠は静かに答える。
じゃ、もう一回。
アバドが指揮棒を構える。
ほとんどその繰り返しだった。

私はこれに激しく面食らったのである。

その後、このリハーサルの本番を聴く機会に恵まれ、
またベルリンに来てからもベルリンフィルにて何度となく聴き、わかってきたことは、
もう、彼の掌が、存在が、全てを物語っている、ということである。
神がかっている、としか言いようがない。

今日見たドキュメントでも、そのことを再確認。
インタビューの中で、アルブレヒト・マイヤー氏が言っていた。
彼は、聴け、お互いの音を、周りの音を聴け、そう繰り返し言うのだと。
そう、音楽を創っていく過程で、それが原点であり、それが全てである。

彼の周りに立ち込める空気は、周りをそうさせる力を持っていると、私は感じる。
遠い客席で見ていたってそれを感じるのだ。
彼の持つ、人の注意を引き寄せる、そして人の感性を開き、導く「引力」はすごいとしか、言いようがない。
てのひらから、何かが出ている。
まさに魔法のようだ。

私にとって、尊敬、などという域はとっくに超えた、まさに神のような存在。
ただの、いち聴衆、という存在であれど、
彼と同じ時代に生き、肉眼で姿をみとめ、同し空間で同じ空気を吸う機会を与えられたことを幸せに思っている。
次にベルリンにいらっしゃるのは5月。
ベルリンフィルで、マーラー10番など。

健康で、これからも素晴らしい演奏を聴かせてくれることを、心から願っている。
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【2011/01/13 07:32 】 | 音楽 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
わたしをつくったもの。
iPodから懐かしい音が流れてきて思い出した。

あれはおそらくまだ小学生のころだったと思うのだが、
夕刊のテレビ欄の下の広告部分に、クラシック名曲選CD80枚組、1万円(たしか)という広告が載っていた。
そのころ私は「クラシック音楽」に対しどこかミーハー的なファンであり、色めきたった。

そのころ、「通信販売」なんて体験したこともなかったが、母に懇願し、お年玉をかき集め、申し込んでもらった。
何でそんな安かったかというと、フルトヴェングラー、ベーム、クライスラー、カザルス、マリア・カラス、
そういったもう今はなき演奏家たちの古い録音をCDに焼きなおしたものだったからだ。
著作権が切れているとか、そういうことなんだと思う。
中にはバーンスタインやカラヤンの録音なんかもあった。

教会音楽からオーケストラ作品、室内楽作品、ソロ作品、オペラアリアに至るまで、
その80枚はある意味かなり「クラシックの名曲」をカバーしていた。
いわゆるBGMに使えるような「気軽に聞けるクラシック」というようなセレクトではなかった。
それが今思えば古いスタイルによる演奏だったとしても、「曲を知る」という意味では全く問題なかったわけであり、
いや、今だってその時代の巨匠の演奏というのは尊敬に値するものは多く、
当時、私はむさぼるようにその80枚を聴いた。

今でも新しい知らない曲を譜読みする時、それが役立つこともある。
ともあれ、かの若き日の1万円の出費は、
今の私をつくったものとして、大きな存在であることには間違いない。


iPodから流れてきたのはフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン「カヴァティナ」の弦楽合奏版。
これが好きで、いつもよく聴いていたのを思い出す。
【2010/12/29 09:20 】 | 音楽 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
シューマン、200歳の誕生日。ツヴィッカウ旅行記
今日はシューマン200歳の誕生日。
シューマン好きとしては、何ともわくわくなこの日。
何かしたい!!と思い、友達を集めてパーティーでもしようかと思いましたが、せっかくドイツにいるのですから、ここはひとつ、ね!
というわけで、シューマンの生誕地、ツヴィッカウに行ってきました。
ツヴィッカウは、ライプツィヒやドレスデンがあるザクセン州の南部に位置し、チェコとの国境に程近いところにあります。ベルリンから、電車で3時間ほど。
まずはICEでライプツィヒへ。
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ライプツィヒもシューマンにとってもっとも重要なゆかりある街ですが、今回は素通り。
ライプツィヒは大好きな街ですからね、またゆっくり。

きっと今日は世界中のシューマンファンがツヴィッカウに集まるでしょうから、ツヴィッカウ行きの電車は、朝の山手線顔負けの混雑ぶりに違いない、、、
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と、意気ごんでいざ電車に乗り込むと・・・

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まさかのがらんどう・・・

えっ、えっ・・・・

世界のみなさん、意外とツレないのですね。。。

一人で一両、一人占めさせていただきました。

あー、のびのび。

まぁ、ツヴィッカウに着いたら、人々がわらわらといるはず。
お誕生日ですからね。

ライプツィヒからツヴィッカウの間は、ひたすらのどかな田園風景。

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さて、ついにツヴィッカウに到着!!

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がらーーーん。。。

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がらーんがらーん

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がらがらがらーーーーん

え、お誕生日だよね??
ここは本当にツヴィッカウ?と不安になりました。
ツヴィッカウって、他にもあるみたいなので。

でもしばらくふらりふらりと歩いていると、そばをトラムが走り、車両にシューマンとクララの絵が書いてあったので、思わず、ほっ。
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地図を頼りに中心地に向かって歩いて行くと、やっと人が現れました。
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オレたち犬・・・

シューマンの生家は本当に一番中心になっているHauptmarkt(中央広場)にあり、すぐに見つけることができました。
今はシューマンハウスとして博物館になっており、シューマンとクララの遺品や資料が豊富に展示されています。
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リボンの付き方が中途半端・・・・

早速、中をのぞいてみると、あらまあすっからかん。
きっと今日は大混雑で、入場にスプラッシュマウンテン並に並んだり、入ることはできても、もう満員電車状態で、何も見られないだろうから、またいつか出直そうと思っていたので、拍子抜けしましたが早速見ることに。
中は写真撮影ができなかったのですが、写真でしか見たことのない物品や、本でしか読んだことのない手紙のオリジナルが、あれもこれも、と並べられていて、大興奮。
時間はたっぷりあったので、手紙をひとつひとつ読んだり、ひとつ部屋を進んではまた戻ってみたり、誕生日とあって、入れ替わり立ち替わり、テレビの取材が入っていたので、それをじろじろ眺めたり、館員の方が弾くクララのピアノの音にワクワクしたり、シューマンの気分になって窓の外を眺めてみたり。

肉筆のものを見るのって、何だか特別なものを感じませんか?
肉筆の楽譜や手紙を読んだ時、歴史上の人物の体温が、ふわああっとよみがえってくるのです。
あと筆跡というのはその人の人間が出ますね。
シューマンの場合はまさに!という感じで、彼の音楽そのものだと強く思いました。
具体的には、どう表現したらいいかわからないけど・・・


この生家(博物館)、普通といえば普通の一軒家ですので、そんなに広いわけではないのですが、気づいたら3時間以上時間が経っていました。

シューマンが生まれた部屋は、日の当たる角の部屋で、今はシューマンが使っていた家具類が置かれ、真ん中には、クララがライプツィヒ・ゲヴァントハウスでデビューした時に使ったというグランドピアノが置かれており、研究員の方が弾いて下さったのですが、何とも味わいのある音で、素敵でした。
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シューマンの両親は、文学に理解が深く、いわゆるとても「きちんとした」家庭であり、また経済的にも極めて安定していたし、のちにシューマンが「心のこもった愛情あふれる教育を受けた」と言っていたように、このツヴィッカウの家で、とても充実した幼少時代を過ごしていた、という風景が、その家に行ってみることでより実感として感じることができました。
他にも、街の雰囲気、建物、人間、空気、風土、そういうものが全てシューマンという人間の基盤にあること、そう考えると、いろいろ合点がいくというか、想像が容易になったことが、今回の旅の大きな収穫でもありました。

さて、シューマンハウスを出て、すぐそばの「Dom」と呼ばれる聖マリエン教会へ。
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ほれぼれするような、趣ある教会でした。
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ここでばったり友人に会いました。
実は今日は、バレンボイム氏率いるStaatskapelle Berlinが、オールシューマンプログラムを持って来ており、彼はその一員として来ていたのでした。
彼以外にも、私の学校は多くの教授がStaatskapelleのメンバーなため、あっちにもこっちにも、オーボエの彼もクラリネットの彼もトロンボーンの彼も、、と教授陣が街中でお会いし、どぎまぎ。

その後、そのHauptplatzにある「夢見るシューマン像」に近づくと、さすがにここは人でごった返していました。
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赤いばらをおいてきましたよ。
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ま、このばら、ご自由にお取り下さい的に配られていたのであり、自分で買い求めたものではないので、何だか若干の後ろめたさを感じましたが(笑)

その後、学校の教授でありStaatskapelleのメンバーであるR先生とちょっとだけお茶をして、その時ご一緒したツヴィッカウの劇場オーケストラメンバーの一人の方が、劇場の中を案内して下さるとのこと、喜んでついて行きました。
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劇場。

劇場は決して大きくありませんが、でもコンパクトさがあの街には丁度よいでしょうね。本当に人口も少ない、小さな街ですから。
舞台裏はDDR(旧東ドイツ)の雰囲気が色こく残っていて、味がありました。

カフェでシューマンゼクトとして売られている甘いシャンパンでシューマン像と乾杯(笑)
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それから、きっとシューマンもいく度となく訪れたであろうムルデ川のほとりでまったり。
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ムルデの流れは、とぷとぷとぷとぷ、大らかで、何だかとても豊かな気分になりました。
でも、ゆるやかな流れに見えるけど、カモのカップルが、漂流することができずにひたすら流されて、めちゃくちゃ焦っていました。顔が蒼白だった・・・
その後どうなったのかちょっと心配(笑)

またぷらぷらと街を散策しながら中央駅へ戻り、帰路につきました。
(ちなみにStaatskapelle Berlin のコンサートは当然というか何というか売り切れで、聴けませんでした。でも、まったく同じプログラムを数日前にベルリンでもやっており、それは聴いたので、良しとします。)

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ライプツィヒの駅って素敵。

日帰りの旅でしたが、とても満足。
こういう特別な日に、シューマンに「会えた」ことは、きっとずっと私の心に残るでしょう。

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よかったよかった。


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2000枚限定の記念硬貨を買いました。10ユーロとして使える(?)みたいです。使いませんが。





【2010/06/08 23:59 】 | 音楽 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
お別れの、準備。
ベルリン国立歌劇場。

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今シーズン(6月まで)が終わると、改修工事に入り、数年間、閉鎖されます。
その間、歌劇場は、シラー劇場という劇場にお引越し。

私の教授は、この歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)のコンサートマスターなので、
レッスンはいつもここの楽屋で受けてきましたし、
何といってもこの、比較的こじんまりとした、歴史を感じる雰囲気の中で、極上のオペラを見るのは、とても素敵な時間。
大好きなので、本当によく通いました。
音楽監督バレンボイム氏の公演(リサイタルなども含め)も、たくさんここで聴きましたし。
でもたしかに、特に楽屋裏に回ってみると、がたがきているところもたくさん。

内装がどのように変わるのかは知らないのですが、
超現代的に変わる、という噂もあったり、

もしそうなら、私としては残念で仕方ありません。

先日は「トスカ」の、最後の公演に言ってきました。

非常に古風な演出なので、何だか本当にタイムスリップしたような気持ちになります。

この後、フィガロの結婚、カルメン、愛の妙薬、エフゲニー・オネーギン、と、
「最後の公演」が続きます。
エフゲニー・オネーギンは本当に最後の最後ということもあって、
チケットが売り切れてしまったのですが、あとの公演は観にいく予定です。
バレエも観にいかなきゃ。

あと約一ヶ月、めいっぱい楽しみます。
【2010/04/27 23:23 】 | 音楽 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
醍醐味
ピアニストは、ショパンとシューマンを弾く幸せがあって、うらやましい、と思っています。
それならば、リストやラフマニノフだって、という声もありそうですが、
ショパンとシューマンの、自己との対話から生まれる、とてもプライヴェートな、他人に媚びない音楽が、無性に好きなのです。

もちろん、シューマンは3つのヴァイオリンソナタはじめ、ヴァイオリンのための作品を書いていますが、
私個人としては、そのある一部のピアノソロの作品とは、ちょっと違う位置づけの印象なのです。

そもそも、それらの音楽において、自分ひとりで完結するか、ふたり以上の人間でつくられるのか、そこには大きな違いがあり、(他人同士の「コミュニケーション」の有無)
逆に言えば、
シューマンやショパンのそれらの音楽は、外の風が吹いたら、かき消されてしまいそうな儚さとナイーブさ、時に他人に邪魔される隙のない、深みや個の世界をたくさん含んでいて、その空気に、酔うのです。

前の記事でバッハのマタイについて書きましたが
私はバッハを弾いているとき、言いようもなく幸せです。
ああ、ヴァイオリンを選んでよかった、と思う瞬間。
やっぱり6つのソナタとパルティータは私たちにとってかけがえのない宝ですし、
その他のトリオソナタや、コンチェルトや、宗教曲などオケの作品にしたって、
ヴァイオリンを弾くことの喜びをひしひしと感じさせてくれるのです。

どんなに心が乱れれている時でも、私はヴァイオリンを手に取ると、ひたすら黙々とバッハを弾きます。
そうすることで、心が研ぎ澄まされていくのが、手に取るようにわかります。

ピアニストもうらやましいけれど、バッハを弾くならやっぱりヴァイオリン。
そう思っています。
【2010/04/25 05:34 】 | 音楽 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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